「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」に選ばれた安曇川北船木の梁(やな)漁法をご紹介します。

IMG_8422

カットリ梁(やな)の歴史 (北船木漁業共同組合)

カットリ梁漁は、現在安曇川に構築されている独特のアーチ型をした簀梁である。梁漁は琵琶湖へ流れ込む河川の定置漁法として、連綿として現在まで受け継がれている。それは本流(南川)にある、字輪の内の一番カットリと、北流(北川)にある、字永竜の二番カットリの2箇所である。この施設は昔から、単にヤナと呼ばれていたものが、カットリ簗と呼ぶようになった のは、1 9 0 9年(明治42年)頃からであると云われています。カットリ簗の創始に 関する確かな記録はありませんが、l 8 7 9年(明治12年)に東京で全国勧業博買会 が開催され、北舟什木もこれに簗の「ひな型」を出展したのがこの「カットリ簗」ではな かったかと云われています。

1 8 8 9年生まれの古老の話によると駒井某氏が考えたという話を聞いていると・・・

簀梁で構造上最重要部分といわれるのは、その両端の陥穽(かんせい・くぼみ)部である。その陥非部へ落ち込んだ魚を、タモでかきとる仕組みになっています。その陥守部を掻取口といったのが、なまってカットリロのある簗ということになったようです。

簗の構築は毎年12月の初旬 から仕事にかかり、1月の中頃 までに完成させます。構築には杭、蛇籠、筵、俵(土嚢)などたくさんの資材が必要になります。寒風と小雪がちらつく現場で漁師たちは人力で仕上げます。水が温む3月には若鮎が遡上し、桜石斑焦(うぐい)と共にカットリ口に銀鱗を飛びはね落ちます。 近年になって簗の仕込みも機動力を使って 構築するようになりました。

北船木の簗は室町時代に観世番(中町)、清江番(北町)、伊賀番(伊賀町)、南番(南町)の 四番四町に分かれ、四河座(よかわざ)のしきたりを受け継ぎやなと四ッ手網の漁を生業としてきました。 ここに示した絵図は上流の諸村と簗に関する相論に際して作成された物で、包紙の墨書には寛政元年(1 7 8 9年)と記されているが現在のカットリ簗とは 異なっている。 北船木の漁師にとって江戸時代の簗漁を知る貫重な 絵図である。

 

IMG_8434